たぶんわたしと同世代の男性の多くは、「AI」という言葉を覚えたきっかけはファミコンソフト「ドラゴンクエストⅣ~導かれし者たち」(1990年発売)によってだと思う。
今まで自分で「たたかう」「じゅもん」といったコマンドを手入力しなければいけなかったものを、『ガンガンいこうぜ』『じゅもんつかうな』といった指示をすれば入力不要になるという画期的な仕組みであった。
ただし、いまいちこっちがやってほしい動きを取ってくれないことが多く、中学生ながらにAIはアホだなあと思った記憶がある。
それから20年以上の時が経過し、囲碁や将棋でプロ棋士とAIが戦うことが流行っていた時期があった。
2015年4月におこなわれた将棋の電王戦第5局で、阿久津八段がAWAKEという将棋ソフトに対し、バグみたいな手を誘導して21手で勝ったことがあった。
このころにはもうAIは完全にアホではなく、将棋のプロ棋士が正面から戦うかコンピュータの弱点を突くかを悩まなければいけないほど賢くなっていた。このときの阿久津八段の葛藤は新しいタイプの葛藤だったので非常に記憶に残っている。
そして現在、生成AIが発展しすぎて、ドラクエⅣの戦闘だけで気にすればよかったAIが、自分の実人生で上手に使うことが求められる水準にまで上がってきてしまった。
いやー、びっくりである。
いまのところChatGPTが記憶している情報は人類の活動の1%くらいらしいが、これからどんどんAIが普及して、人間のおこなっている頭脳活動の大半をやってくれるようになっていくと言われている。
わたしとしては、コマンドを手入力したい気持ちもあるが、時代に合わせて自分にとって最善な選択をしていければなあと思っている。