陸上部の思い出


東京2025世界陸上が連日盛り上がっている。
織田裕二の存在感すごい。

わたしは小さいころから特に目立ったところがなく普通の子どもだったのだが、かけっこだけはちょっと速かった。
けれども、小学校の1年生から3年生までのあいだ、クラスで2人だけ選ばれる「運動会のリレーの選手」には一度もなれなかった。
あるとき、何人かでグループ分けして記録を測ることがあって、わたしはリレーの選手2人と同じグループに入った。
おもわず「わあ、リレーの選手といっしょだ~」と喜んだのだが、一番速い子に、お前なんか一緒じゃねえよ図に乗るなみたいなことを言われて、泣きそうになった。泣いてたかもしれない。

中学は陸上部に入ろうと決めて、入学してまもなく、部活の見学みたいなところに行ったとき、小学校で自分が副会長だったときに会長を務めていた先輩がすでに陸上部に所属しており、そのかたは会長に選ばれるくらいだからいろいろな能力が高かったわけだが、そのかたに「え?きみ、陸上部入るの?女バレのほうがいいんじゃない?」と皮肉を言われた。

中学の陸上ではそれなりにがんばって、400mで県大会7位の成績を修めることができた。
自分としてはやれるだけ頑張った結果だと思って満足していたのだが、その4年後、大学に入学していろんなサークルを見学していたときに、陸上部の勧誘役の女の人に、「長野県ってこのタイムで決勝いけちゃうんだね~」とマウントを取られてしまった。

・・・このように、織田裕二をきっかけに自分と陸上の関係を思い出してみたところ、イヤな思い出が3つほど抽出されることとなった。
悔しい気持ちとか感情的なものは全く残っていないが、東京に出てくる前にも世間の厳しさをいろいろ味わっていたのだなあと再発見できた。
よく覚えてるなあ・・。


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